「学校英語が意味ない・使えない」と考える全ての人に伝えたいこと。

こんにちは、まさぽんです。

今回は学校英語は善か悪か?というテーマで、多くの人が気になっている部分を解説します。

僕なりの結論を言えば、学校英語はどちらかと言えば「善」だと考えているのですが、そうは思えない人も多くいるでしょう。

主要五科目はどれも重要ですが、この記事では「英語科目」に絞って話を進めたいと思います。

というわけで、行ってみましょう。

この記事の信頼性
筆者であるまさぽんは、学生時代にアメリカへと留学をし、現地で多様性ある交流を経て、世界基準の人材のレベルの高さを確認するに至りました。これまで多くの子供向け英会話教材や塾を調査する傍らで、育児・子育てに関する書籍も10冊以上は読んできました。自身の運営コミュニティでも中学〜高校生の子供を抱える親御様とメールやZoomにて対話を重ねており、今もSTEAM教育を始めとした海外発の教育の成功・失敗事例を研究を続けています。本記事では、そんな筆者の過去の経験則と、スタンフォード大学で博士課程を卒業し、アメリカで起業したHeejae Lim氏のスピーチの内容とを照らし合わせて日本のあるべき教育の姿について書かれています

 

この記事がオススメな人

  • 学校教育の在り方に疑問を感じている人
  • 子供に海外の教育を受けさせたいと感じている人
  • 家庭内学習の重要性を確かめたい人

 

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学校英語に否定的な人は多いですが、実は「ネイティブも学校英語を普通に使う」ことを知っている人だけが英語ペラペラになれます。

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学校英語は意味ないと思える理由(世間の声)

世間では何かと悪者にされがちな「学校英語」ですが、その主な根拠は「中高6年間英語を学んだのに、ネイティブのように話せない」というものですね。

もちろん中には、高校卒業段階でネイティブくらいペラペラになる人もいますが、大抵そういう人は濃密な海外経験があったり、英語が大好きでどこかの時期に集中してトレーニングを積んでいたりします。

ということは、純粋な勉強時間を増やすだけでも、日本人が中高のカリキュラムで英語を極められる可能性は高いと言えそうです。

かわうそかわうそ

でも実際に高校を卒業する時にペラペラになってる人なんてほとんどいませんよ!


まさぽんまさぽん

そもそも勉強してないからね。


かわうそかわうそ

勉強しててもよく分かんないんです💦


まさぽんまさぽん

学校の勉強はいったん着いて行けなくなった者には冷たいんだ。そこで塾とかで真面目に勉強できる生徒なら知識を補えるけど、親や友人の影響で勉強に対するネガティブな意識を持っていると、なかなか身が入らないのだ。


ぱんだぱんだ

学業以外に優先するものがある場合も、なかなか勉強に力を注ぎづらくなります。


まさぽんまさぽん

極端な話、クラスのイジメっ子の標的になってたりする人だと、もう勉強どころではなくなるね。

役に立たない派の意見

実際に「学校英語は役に立たない」と主張する人々の意見を確認していきましょう。

ただしここでは生の声のみを拾っているので、ポジショントークっぽいモノは除外しています。

ぱんだぱんだ

「意味ない派」の意見を抽出すると、「実際の会話で学校英語を使わない」というのを根拠にしている人が多いですね。これについてはどう思われますか。


まさぽんまさぽん

受験英語をガチでやってからアメリカ留学に行った身からすると、その説は半分正しくて、半分間違ってるかなぁ。


ぱんだぱんだ

「使わない」というよりは「使えてない」だけな気はしますね。


まさぽんまさぽん

そう。習った知識を使うための訓練が足りてないのだ。学校のカリキュラムではそこまで面倒を見る余裕はない。


ぱんだぱんだ

大学生になってからESSとかに入って訓練をする人は一定数いますよね。要は自主練に委ねられるってことですか。


まさぽんまさぽん

自主的にやれるかがほぼ全てと言っても過言ではないよね。コミュニケーションも自分から行かないと成立しないのだし。でも人によってはそれがめちゃくちゃ難しい。笑

中学卒業時点で「英語を使えない」のは当たり前

上記のデータは、文部科学省が表に出している中学3年生時点での英語科目の学力(全国の公立中学9,252校を対象)を示しています。

CEFR A1レベルとは、英語力において「初級」に位置付けられるもので、馴染みのある英語フレーズを発話したり、ちょっとした英作文問題を解けたりするくらいの実力で、英検3級~準2級レベルですね。

その下にあるのが Pre A1レベル(アルファベットを習い始めた段階)で、日本の多くの中学1~2年生がこのレベルに該当します。

かわうそかわうそ

中3で英検3級を取得している生徒って、けっこう多いんですね💦47%って💦


まさぽんまさぽん

これは実際に3級を取得した数ではなく、あくまで学校の英語教師が「この生徒は英検3級レベルの実力がある」と判断した数だから、実際の取得者数とはいくらか解離があると思うよ。


ぱんだぱんだ

教師側にもプレッシャーがありますからね。イジメ問題のように、できない生徒がいても見て見ぬフリをする人は多いでしょうね。

実際に「英語をネイティブ並みに使いこなせる」基準はCEFR C1~C2レベルですが、中学校卒業段階でそのレベルに達しているのは、ごく一部の帰国子女や英語圏からの留学生などに限られます。

ほとんどの中学3年生は、卒業した時点では「ようやく日常会話フレーズを使い始める」程度なので、そこからプラス3年を見込んだとしても、高校卒業時点で「ネイティブレベルにペラペラ」を期待するのはちょっと無謀だと言えそうですね。

以下、「学校英語は無駄ではない」派の意見を拾っていきます。

ぱんだぱんだ

まとめると、学校英語で培った実力は顕在化しにくいから実感が湧きませんが、基礎力を醸成する上ではとても重要だという事ですね。


まさぽんまさぽん

すぐに結果が出るモノを皆追い求めるんだけど、それって基礎数学をすっ飛ばしていきなり物理を学ぶようなものだからね。

実用英語を習得するには海外留学しかないのか

とはいえ、どうせ英語を学ぶのであれば、使える英語(=実用英語)を学びたい、という声は多々あります。

その手段としてはいくつか考えられますが、英語圏の学校への進学、または海外留学というのはどうでしょうか?

ぱんだぱんだ

そもそも実用英語って、どこからどこまでの範囲を指しているのですか?変なスラングとか覚えた所で、ビジネスなどの襟を正す場面では使えませんよね。


まさぽんまさぽん

多くの人は “be going to” を “gonna” と略したり、”is not / are not” を “ain’t” と略したりすることに憧れを抱いていると思うけど、それはごく一部の表現であって、ほとんどの実用英語は学校英語で賄えるよ。


ぱんだぱんだ

それ以外にも、なにか重要なことがある気がしますが……。


まさぽんまさぽん

まああるよ。いわゆる無生物主語とかの「英語的な発想」だよね。challengeみたいな他動詞は、日本語の概念をそのまま応用しづらいから「上級者向け」とされている。

「実用英語(=実際にネイティブが使う英語)」を身に付けることを前提に、子供をネイティブ並みにペラペラにさせたいと考えたら、高校時点で英語圏に留学をさせるのが有効な方法なのは間違いありません。

しかし、このやり方はかなり強制的なのでリスクも高く、途中でホームシックになって帰国したくなる人も多いです。

あの夏目漱石ですら、イギリスに留学した際に強烈なホームシックになったそうですから、日本人で他者との交流に消極的な人であれば、誰でもそうなる可能性があります。

ちなみに日本の大学生が海外留学をためらう理由は、経済的負担、海外生活への不安、語学力不足、海外への興味のなさなどが挙げられます。

それゆえ、高校以前の段階で海外に対する興味や好感を促進したり、語学への自信を高める教育が必要とされていますが、これは留学フェアなどの国際イベントに参加する、海外からの留学生と交流をするなど、さまざまな工夫ができます。

ぱんだぱんだ

私はもともと中国から来ているので、海外渡航には抵抗はありませんでした。


まさぽんまさぽん

僕の場合は幼少期に行ったハワイ旅行と、高校の修学旅行でオーストラリアに行った経験が、留学への興味付けに繋がったかな。

ちなみに、国際バカロレア教育(IB教育)では、自国の文化やアイデンティティを振り返り、異文化にも理解を示すことで、国際社会に通じる横断的な視野を獲得することを目的としていますが、日本では一部のインターナショナルスクール等に限られているため、一般の公立中学・高校の教育だけではなかなかグローバル的な視野が広がらないという問題があります。

英語圏で学校教育を受けさせる際の注意点(アメリカ・イギリス)

以下は、小学生の時に韓国からイギリスに移住をしたHeejae Lim氏のスピーチです。

彼女は幼少期の体験を元に、世界中の教師とその学校に通う子を持つ親のコミュニケーションを翻訳で繋ぐ言語サービス「TalkingPoints」を広めています。

このサービスにより、海外に子を移住させている親が「今、学校で何が起きているか」を把握したり、教育方針について意見を交わしたりすることが容易になりました。

翻訳元:The most powerful yet overlooked resource in schools

 

私が8歳の時、新しい学校での初登校日でしたが、私は何も話すことができませんでした。

英語が一言もわからなかったのです。

韓国から英国へ、家族で移住した頃のことでした。

母は私と妹を育てながら、学位を修了する間近でした。

母も私と同じくらい戸惑っているのに、片言の英語を使って、毎日ブロークンイングリッシュで娘の家庭学習について先生に尋ねました。

英語は分からない、あるいは質問する勇気がない他の子の親と違って、母は逞しかったです。おかげで私もタフになりました。

話はそこから3ヶ月後に飛びます。

母が迎えに来る時はいつも、韓国人の親たちに車を取り囲まれ、渋滞を起こすほどでした。

それも毎日です。

車にたかる韓国人の親たちは、母が先生に聞いたのと同じ質問を母に投げかけます。

「保護者会って何?」
「子どもの勉強が遅れているんだけど」

私は母なしでは最初の1年を到底乗り切れませんでした。

でもこれは、私だけの話ではありません。

米国で学校に通う子どもたちは5,000万人。

そのうち4,000万人、つまり5人に4人が貧困層や移民の子どもです。

米国の学校システムの圧倒的多数に関わる話です。

私は恵まれているケースでしたが、平均的に考えると、こうしたの子どもたちは2年も遅れを取ると言われています。

これは米国経済にとって、毎年1兆ドルの損失です。

しかしこれには改善の余地があります。

研究によると、子どもの学力に重要なのは、親の所得よりも、親が子どもの学習に関わるかどうかなのです。

子どもにとって親は最初に出会う教師であり、子どもは起きている間の8割を学校外で過ごします。

家族が改善の鍵となることは 言うまでもありません。

ここで1兆ドルの価値のある質問をしましょう。

家族がもたらす偉大な可能性と、我が子への深い愛情をどのように活かすのか?

私は会社を興し、教師と家庭と学校をつなぐ役割を背負っています。

使うのは誰もが持っているもの ―――携帯電話です。

教師が英語で送ったメッセージを、保護者が自分の言語で受け取ります。

保護者から教師の場合も同じです。

言語の壁を取り除き、教育情報を説明することで、文化や知識のギャップを埋め、保護者と教師の対話を助け、促します。

つまり私の母が持っていた学校や保護者に対する役割(メッセンジャー、通訳、指導者、 そして解説者、仲介者)を担います。

私の母を含め、保護者はどこにでも行ける訳ではありません。

それは努力でどうにかなる問題ではないのです。

私たちはここに目をつけ、400万人の家庭、生徒、教師を、70,000の学校とつなぎました。

家庭と学校が協力すれば、誰にとってもうまくいくのです。

生徒はサポートを受け、家族は希望を持つことができます。

さらに、教師の仕事の負担を軽減できます。

多様な家庭環境の人々と共に、学校も地域も成長できるのです。

教育システム自体にも恩恵があります。

昨年、米国は学校教育に7,000億ドル近くを費やしました。

この投資を社会に還元できるかもしれません。

ほんの一部かもしれませんが、学校と生徒の家庭をつなぐだけで、可能になるかもしれないのです。

いや、つなぐべきです。

考えるまでもありません。

生徒の成績を上げることだけが学校の目的ではありません。

教育は経済の成長を促すだけではありません。

目指すのは、教室内だけの話ではないのです。

学校は実社会の源です。

公教育は市民を作ります。

次世代の市民を作るにあたって、大多数の子どもや、その家族を置いてきぼりにはできません。

教育システムの中で、選ばれた人だけがいつまでも恩恵を受けるような今の社会では、コミュニティとして、また市民社会として機能するはずの民主主義が成立しません。

共同体として幸福になるには、一人一人を大切にする教育が必要であり、子どもたちの無限の可能性を引き出せる場でなくてはなりません。

私たちの願望は、いつか将来、貧困層や移民の子供たちとその家族が教育システムの一部だと感じることができること。

私たちの夢は、いつか将来、彼らがコミュニティを築く一員だと感じられる日が来ることです。

ぱんだぱんだ

半分は自社の宣伝ですが、もう半分は教育の価値を語っているようですね。でも具体的な学校教育の話はよく分かりません。


まさぽんまさぽん

こーゆー抽象的な話をヒントにして、教育を改善するプロセスこそが、考える力を養うんだ。このスピーチから得られる教訓は何だと思う?


かわうそかわうそ

幼少期から海外に留学をしても、ほとんどの親子は英語が分からなくて困っていることです!


まさぽんまさぽん

よろしい。他には何か気付きはある?


ぱんだぱんだ

学校教育に不満を垂らす前に、家庭内教育にどれだけ力を注いでいるかを考えるべきだということですね。


まさぽんまさぽん

この話のキモはまさにそこだ。結局は親がきちんと教育しなければ、いくら優れた教育を受けさせても、その学習効果はほとんどないということ。


かわうそかわうそ

じゃあ、日本の学校で英語を学ぶ以前に、能力の差は家庭内で決まってしまうということですか!


まさぽんまさぽん

それなのよ。自分が英語ができないからって、公教育に文句を垂れてる人は、そもそも自分でできることをきちんとやっていないケースが多い。

日本の教育に不満があるからと言って、幼少期から海外で教育を受けたとしても、その内容を把握できる親御さんは一握りです。

海外の教育は日本と違って優れた点がいくつもありますが、だからといって日本式の教育がダメだとは限りません。

重要なのは、スピーカーのHeejae氏の母親のように、どのような環境に置かれたとしても、積極的に行動を起こして情報をやり取りする姿勢だということですね。

今は昔と違って、優れた翻訳アプリも数多く登場していますが、そうした機会をどう活用するかは自分次第です。

まとめ

今回は、日本の学校教育が抱える学校英語は使えない問題について、海外情報を参考に解説をしました

英語系の業者がよく「日本の学校教育は間違っている」と安易に決めつける傾向がありますが、本来の学校英語は基礎的な力を反復によって身に付けさせることに意義があるので、実用英語を習得するのはその後で十分間に合うと僕は思います。

日本の英語教育はかれこれ30年以上も迷走しっぱなしですが、「ゆとり教育」以降、学習指導要領が改良されて、高校卒業までに3000語⇒5000語の語彙力を全員の生徒に身に付けさせるなど、現代人の英語力は着実に高まっています。

ただしその分だけ、学校教育に着いて行けない生徒や不登校の生徒も増えているので、英語が苦手だと感じている子供の場合、家庭学習などで必要な知識をサポートしてあげるのが良さそうですね。

教師のみならず、親が真剣に教育を考えなくてはいけませんが、長期的な視点で毎日コツコツ取り組んでいけば、1日当たりの負担はそこまで大きいものではありません。

ぱんだぱんだ

今時の親って、子が中3とか高3の受験期になってから慌てて動き出す人が多くないですか?


まさぽんまさぽん

多いかどうかは知らんけど、外部に子の教育を丸投げしようとする人は、そういうタイプが多いかも。


ぱんだぱんだ

受験勉強なんて、始まる前から勝負は着いてますよ。エリート大学に受かる人は中学生の時点ですべての範囲を学び終えていますから。


まさぽんまさぽん

高3の夏までひたすら部活やって、模試のE判定から一気に大逆転合格するような事例もあるから、勉強だけが全てではないんだけども、やっぱり早い段階で動き出すに越したことはないぜ。


かわうそかわうそ

何かを一生懸命頑張ることが大切ってことですね!


まさぽんまさぽん

1つの物事を徹底的にやり抜いた人は、壁の乗り越え方を体感的に理解している。受験でも社会に出てからもそういう人は強さを発揮するよね。

英語を本気で習得したいなら

ちなみに僕は普段、英語初心者向けに、「どうすれば基礎から “確実に” 英語を習得できるのか?」といったテーマで情報を発信しています

今は誰もが語学に力を注いでいる時代ですが、英会話をする際に必須となる「英文法」の学び方について僕は徹底的に洗い出しています。

まずは文法理論を意識して学ぶ段階、その次に文法を忘れて使い倒す段階があると僕は考えています。

「1から正しい英文を書けない……」「英会話がぜんぜんできない……」という方は、まず僕のメルマガを購読してみてはいかがでしょうか。

僕の経験をベースにして、1日1通ずつ「英語の極意」をお伝えします。

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時には厳しい試練もありますが、真剣に取り組めば乗り越えられない壁はありません。

僕自身、かつては人生のドン底に落ちてそこから這い上がった経験があるので、どんな状況からでも人生の基盤を整えていくパワーには自信があります。

現実を見据えた上で、前向きに頑張る意思をお持ちの方は、ぜひ僕のところへ来てください。

流行語やスラングは時間が経つと使われなくなりますが、文法に則った英語は半永久的に使われ続けます。

では、最後までお読みいただき、ありがとうございました。